夢見るたいぺい旅行

葉月

2007年08月24日 10:24

果物を箱買いする時期がやってまいりました。

何を隠そう、これでもワタクシ

ムートゥヤーの長男嫁なので

買い求める旧盆用グッズは半端ではなく

ちょっとヘルニアが悪化したようなカンジのする

今日この頃です。ハイ。

※ムートゥヤーの長男嫁というのは、いわゆる一族本家跡継ぎの嫁であり、その一生を嫁ぎ先に捧げなければならない、現代日本に残る奴隷制度のようなもので、結婚時に大変人気のないポジションである。



少々足がしびれるのでダラダラ過ごしておりましたら、

いきなりドオ~ン!!と地響きが!

また飛行機がポッキンと折れて爆発炎上したんかッ!?

と思ったら、お向かいさんの塀が倒れた音でした。ショベルが一生懸命倒してました。

びっくりしたよー。



飛行機といえば、ポッキンした日とその翌日、取材陣が殺到して

ウチの上空でもヘリが絶え間なく旋回しておりましたが

大阪の世界陸上が始まるから、そろそろ話題にも上らなくなるだろうな。

よくぞウチん家の上で空中分解しなかったなーと思ったんですが

何やら着陸の準備が原因で爆発したらしいですね。

全員無事に脱出できてよかったと思います。ホントに。



しかし、私はかつて2回ほどこのラインを利用して台北へ行ったのであった。

そーいえば、台北に着いたときも空港に取材陣が並んでいて

何だろーと思ったら、飛行機がハイジャックされてる真っ最中だったりしてましたな。



私が学生の頃で、まだ台北の道路には3輪車が走っていた頃のことです。

学生でお金がないからもちろんパック旅行。現地同行員がいるというヤツでした。

行って初めてわかったのですが、現地同行員の方々は観光土産品店からリベートをもらうため

やたらめったら そういうお店に寄り道するんですね。

しかし、私は学生。ブランド品なんか買えるかってのーってくらいビンボーな客だったので

同行員の人からめっちゃ嫌われて連日「馬鹿 馬鹿」と連呼されましたが

このオッサンは子どもの頃、旧日本軍から「馬鹿 馬鹿」と言われ続けて

こんな日本語を覚えたんだろうなあと想像すると

何となく文句の言えない小心者の私であります。くそう。


しかし、そういう怪しいお店を回るのは結構楽しかったりしましたヨ。

一番鮮烈なお店は、薬屋さんでございました。

いきなり会議用のテーブルが並んでいる教室みたいな部屋に案内された私ら。

少林寺っぽいお兄さんが出てきて

目の前で瓦を割ったり、体に針金を巻き付けて「ふんがー」と気合いで切ったり、

ヌンチャクを振り回したりと、ハデに動き回るのですな。

そして!

お兄さんの中でも限りなくおっちゃんに近い人が、鎖を火であぶりました。

お兄さんの中でも限りなく若い人が出てきました。

おっちゃん、やれ、と指示します。

若者、「ふぁぁぁあああっ!」と怒号をあげて

鎖を握りしめました!



じゅッ!


(きゃーー!)


なんちゅーか……皮が焼ける臭い

どうみても、若い兄ちゃんの手は焼けてますヨ!?



それからどーしたかっていうと、

おっちゃんの方が、火傷した若い兄ちゃんの掌に、

何やらアヤシイクリームをヘラでたっぷり塗りたくります。

そして、兄ちゃん「ふあああぁぁぁっ!」と気合いを1発。

掌を私らにかざして




「ハイ!火傷治りマシたぁぁっ!!」




(うううう、嘘だぁ…)


その後、アヤシイクリームの販売が始まりました。



そんな怖いシーンを目前で見せられて

クリームなんて買うもんか!



たたた、たいぺいってコワ~~



若い兄ちゃんの掌、すんごいゴテゴテになってて、毎日コレやってんのかなーって

複雑な気持ちでございました。



という実演販売、今もやってるのかな?

今思えば、結構おもろい体験したかもしんない。


台北はあなどれませんぜ。



というのを、飛行機のニュース見ていて思い出しました。

他にもいろいろな体験したんですけどね。台北。


まあ、お盆が終わってから。

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